広島日米協会は11月29日、広島市中区のANAクラウンプラザホテル広島で「50周年記念パーティー」を開催した。在大阪・神戸米国総領事館のリチャード・メイ・ジュニア総領事や広島市の松井一實市長、広島商工会議所の池田晃治会頭ら85人が参加。日米草の根の交流活動を通じて互いの生活や文化についての理解を深め、友好の絆を強める目的で設立されてから半世紀となる節目を祝った。
同パーティーでは冒頭、広島日米協会の山本一隆会長が「私たちはこれからもできるだけ多くの米国の方にご参加いただき日米の草の根の交流を続けていく所存です。皆様の温かいご協力をよろしくお願いいたします」とあいさつ。参加者を代表して松井広島市長は「次の50年に向けて今後とも、広島とアメリカの友好の懸け橋としてご活躍いただき、平和、経済、スポーツ、文化など様々な分野での市民同士の交流の輪が一層広がっていくことを願っています」と同協会が果たす役割への期待を示した。
一方、米国側を代表して出席したメイ総領事は「2016年5月のオバマ大統領の広島訪問は、日米関係がどれだけ進歩したかを示すハイライトでした。私はあの日の荒廃から復興したこの街の歴史にはいつも感動させられます。さらに感銘を受けるのは、広島市民と米国民との関係が、社会のあらゆるレベルで長い年月をかけて成長し、成熟してきたことです。広島日米協会と皆さま全員が、その物語の一部です」などと語り、この50年間の日米関係の歩みを振り返りながら、一段と深まる日米関係について話した。
同パーティーでは、食事でも米国産牛肉を使い、カリフォルニアロールやミニバーガー、ミシシッピーマッドパイなどを提供するなど、参加者は米国料理に舌鼓を打った。
例年12月に開いている「クリスマス忘年の夕べ」で実施している景品抽選会も開催され、ワインや食事券、商品券など会員各社から提供された数々の景品を参加者にプレゼントした。
中締めでは池田広島商議所会頭が壇上に立ってあいさつ。参加者の盛大な拍手と共に、約2時間の華やかなパーティーを締めくくった。
広島日米協会は1971年11月6日に発足した。その前史は、48年10月30日に開館した広島CIE図書館(後の広島アメリカ文化センター)に遡る。長年、日米友好の活動を続けてきたが、米本国の予算縮減の影響で71年に閉鎖される際、当時の広島県知事の要請で駐日米国大使を迎えるのにふさわしい民間団体として広島日米協会が急ぎ、結成された。
初代会長の中国新聞社会長、山本朗氏(当時)、2代目会長の中国放送社長、堀口勲氏(当時)に続いて2003年7月から山本一隆氏が3代目会長を引き継いでいる。
◎山本一隆会長あいさつ
広島日米協会「50周年記念パーティー」の開催に当たり一言ご挨拶を申し上げます。
本日は在大阪・神戸米国総領事のリチャード・メイ・ジュニア氏をお迎えして、当協会の50周年記念パーティーを開催いたしましたところ、多数のご参加をいただき誠にありがとうございます。
広島日米協会は1971年11月6日に誕生いたしました。1948年、広島市に開館した広島CIE図書館(後に広島アメリカ文化センター)が閉鎖される際に広島県知事の要請を受けて結成されました。初代会長は中国新聞社元会長の山本朗氏で、私は3代目になります。
同協会は日米の草の根の交流活動を通じてお互いの生活や文化についての理解を深め、友好の絆を強めていくのが目的です。
これまで、毎年の総会開催のほか、春、秋には主としてアメリカの文化に関する「講演と交流の夕べ」をはじめ、12月には「クリスマス忘年の夕べ」の開催によりお互いの交流を深めてまいりました。
昨今はコロナ禍により十分な活動ができておりません。また本日も本来なら50周年としいう節目の年を盛大にお祝いするところではありますが、コロナ対策を取りながらの開催となりましたことをご理解いただきたいと思っております。
私たちはこれからもできるだけ多くの米国の方にご参加いただき日米の草の根の交流を続けていく所存です。皆様の温かいご協力をよろしくお願いいたします。本日はご参加まことにありがとうございました。
◎松井一實・広島市長あいさつ
皆さん、こんばんは。広島市長の松井一實です。
広島日米協会におかれましては、今月6日に設立50周年を迎えられたことを、心からお祝い申し上げます。
本日、リチャード・メイ・ジュニア在大阪・神戸米国総領事を始め、多くの方々の御臨席の下、このように盛大に50周年記念パーティーが開催されますことを、心からお喜び申し上げます。
貴協会は、1971年の設立以来、アメリカの文化や暮らしを紹介する講演や交流会を実施する傍ら、歴代の会長には本市が開催している姉妹都市の日イベント「ホノルルの日」実行委員長を歴任していただくなど、広島とアメリカの友好のために、様々な活動を積み重ねておられます。改めて、山本会長を始め歴代会長、役員並びに会員の皆様のこれまでの御尽力に対し、深く敬意を表します。
ホノルルは、本市にとって初めての姉妹都市であり、またホノルル市にとっても本市が初めての姉妹都市です。3年前、ホノルル市との姉妹都市提携60周年を迎えた際は、私も代表団の団長として、芸術団及び経済交流団と共にホノルル市を訪問しました。両市関係者で60年の友好関係を再確認したほか、本市が寄贈した被爆樹木を植樹し、また、ホノルル動物園では、本市が寄贈したオオサンショウウオに餌をやるなど、両市の60年間の友好の軌跡をたどる非常に感慨深い訪問となりました。また本市では、ホノルル市から行政長官やスティールギター・ウクレレ奏者等をお招きし、姉妹都市提携60周年記念イベントを開催し、その実施には貴協会の皆様に御尽力いただきました。改めて感謝申し上げます。
貴協会の皆様におかれましては、次の50年に向けて、今後とも、広島とアメリカの友好の懸け橋として御活躍いただき、平和、経済、スポーツ、文化など様々な分野での市民同士の交流の輪が一層広がっていくことを願っています。
終わりに、広島日米協会のますますの御発展と、本日御臨席の皆様の御健勝をお祈りいたしまして、私の御挨拶とさせていただきます。
◎リチャード・メイ・ジュニア・在大阪・神戸米国総領事あいさつ(英文)
Remarks by U.S. Consul General Richard Mei
Japan America Society of Hiroshima November 29, 2021
Good evening.
First, I would like to extend a special thanks to Mr. Kazutaka YAMAMOTO, President of the Japan-America Society of Hiroshima, for inviting me to speak to you on the auspicious occasion of your 50th anniversary celebration.
I am also glad to see Mayor Kazumi MATSUI, members of the Japan America Society of Hiroshima, distinguished guests, and friends,
Over the past 50 years, the United States has enjoyed an important relationship with the people of Hiroshima.
The visit by President Obama in May 2016 was highlight – showing just how far our bilateral relationship has come. That visit, followed by former Prime Minister Shinzo Abe’s visit to Pearl Harbor in Hawaii, was made possible with the vision and collaboration of former Ambassador Caroline Kennedy and Prime Minister Kishida, who was then the Minister of Foreign Affairs.
Hiroshima has built strong business ties with American companies and developed many academic partnerships with our universities. Prior to the pandemic, American visitors to Hiroshima outnumbered those of any other nation, and we are optimistic that in 2022 that two-way flow of tourism can safely resume.
The very successful alliance between Ford Motors and Mazda, from 1979 to 2015, was a strategic partnership that included joint ventures and exchange of technological information. Today, U.S. and Japanese auto manufacturers are leading research and development to achieve carbon neutrality, including electric and hybrid electric vehicles.
At COP-26 in Glasgow this month, Ford and General Motors agreed to work toward selling only zero-emissions vehicles by 2040. One of the most innovative sectors of green growth is hydrogen, and Japan is leading the development of hydrogen fuel-cell vehicles.
Hiroshima and Honolulu have been Sister Cities since June 15, 1959.
Hawaii’s people have strong historic ties to Hiroshima as well. Between 1885 and 1894, approximately 30,000 people arrived in Hawaii from Japan, primarily to work in the sugar industry. An estimated one-third of them came from Hiroshima.
Hiroshima is an active participant in the Honolulu Festival, sending an official delegation every year. Hiroshima also celebrates “Honolulu Day” in November.
In 1985, the Prefecture of Hiroshima presented Honolulu with the Hiroshima Peace Bell. A bell-ringing ceremony is held annually on August 6 at the Izumo Taishakyo Mission.
In 2001, the Hiroshima Chamber of Commerce and Industry, Hiroshima Prefecture, and the City of Hiroshima presented to the Honolulu Japanese Chamber of Commerce a replica of the torii gate at Miyajima as a symbol of our everlasting friendship.
Since 1961, students from the YMCA of Honolulu and Hiroshima YMCA have participated in a summer exchange program, which is said to be the longest running exchange program in the United States. Each year, the two YMCAs alternate sending student delegates to tour historical sites from World Wars, visit dignitaries, and participate in homestays. This important program has provided experiences for a generation of youth to build strong friendships that create lasting peace.
And of course, Hiroshima has hosted hundreds of American English language teachers through the JET program. I hope that some JETs or JET alumni may even be here with us tonight. I, myself, first came to Japan on an English teaching fellowship which predated the Japan Exchange and Teaching program – which then led to my career in diplomatic service -- so I know from experience the transformative power of these educational and cultural exchanges.
Your Governor, Hidehiko YUZAKI, a graduate of Stanford University, has championed educational and cultural exchanges, particularly those that expose young Japanese students to the United States. His vision of Hiroshima as an engine of innovation and entrepreneurship has led to efforts to cultivate a global mindset among Hiroshima’s youth. In 2019, an online course for Hiroshima high school students called e-Stanford Hiroshima was launched, which emphasizes the deep interdependence between Japan and the United States. High school students study topics such as early Japanese immigration to the United States, entrepreneurship, and the Hiroshima-Honolulu sister city relationship. I’d like to recognize Superintendent Rie Hirakawa of the Hiroshima Prefectural Board of Education for her leadership and support for this program.
Separately, the Stanford-Hiroshima Collaboration Program on Entrepreneurship helps to nurture entrepreneurial thinking in MBA students enrolled at the Hiroshima Business and Management School of the Prefectural University of Hiroshima. The students are exposed to real-life case studies to analyze Silicon Valley’s ecosystem and think critically about entrepreneurial competence and qualification.
And tomorrow morning, I will visit Hiroshima University, where I am looking forward to learning more about the university’s new partnership with Arizona State University’s Thunderbird Graduate School of Global Management. This exciting global initiative – starting in the Fall of 2022 – offers a four-year English language curriculum leading to a Thunderbird Bachelor’s degree in Global Management or International Trade from Arizona State University – right here at Hiroshima University. After graduating, students may spend up to three years in Optional Practical Training in the United States.
In conclusion, I’d like to say that it was a great honor to represent the United States in an official capacity at this year’s annual peace commemoration on August 6th. I had been to this city many times in the past, and I am always moved by the city’s history and recovery from the devastation of that day. Even more impressive is how far relations between the people of Hiroshima and Americans, at every level of society, have grown and matured over the years. This organization and all of you, are a part of that story. With deep gratitude, I thank you very much.
◎リチャード・メイ・ジュニア・在大阪・神戸米国総領事あいさつ(日本語訳)
こんばんは。まず初めに、このおめでたい広島日米協会設立50周年記念パーティーにご招待いただき、心よりお礼申し上げます。ごあいさつする機会を設けてくださった山本一隆会長、どうもありがとうございます。
松井一實広島市長、広島日米協会の皆さま、ご来賓の皆さま、そしてご友人の皆さまにもお目にかかれて大変うれしく思います。
この50年間、米国は広島市民の皆さまと、重要な関係を享受してまいりました。
2016年5月のオバマ大統領の広島訪問は、日米関係がどれだけ進歩したかを示すハイライトでした。大統領の広島訪問、それに続く安倍晋三元首相によるハワイの真珠湾訪問は、キャロライン・ケネディ元駐日米国大使と当時外務大臣だった岸田首相のビジョンと協力により実現したものです。
広島は米国企業と強いビジネス関係を築き、米国の大学とは数多くの学術的なパートナーシップを構築してきました。新型コロナウイルス感染症が大流行する前は、広島を訪れる米国人観光客の数は、他のどの国をも上回っていました。2022年には安全に双方向の観光が再開できると期待しています。
1979年から2015年まで続いたフォード・モーターとマツダの提携は、合弁事業や技術情報の交換など、戦略的パートナーシップとして大成功を収めました。現在、日米の自動車メーカーは、電気自動車やハイブリッド車など、カーボンニュートラルを実現する研究開発をリードしています。今月グラスゴーで開催されたCOP26でフォードとゼネラルモーターズは、2040年までにゼロエミッション車のみの販売を目指すことで合意しました。グリーン成長の最も革新的な分野の一つが水素であり、日本は水素燃料電池車の開発をリードしています。
1959年6月15日以来、広島市とホノルル市は、姉妹都市提携を結んでいます。
ハワイの人々は、歴史的にも広島と深いつながりがあります。1885年から1894年にかけて、主に砂糖産業に従事するため、約3万人が日本からハワイに渡りました。そのうち約3分の1は広島出身者と言われています。
広島はホノルルフェスティバルに積極的に参加しており、毎年公式代表団を派遣しています。 また、広島では11月に「ホノルルの日」を祝っています。
1985年には、広島県からホノルルに「広島平和の鐘」が贈られました。毎年8月6日には、出雲大社教の鐘つきが行われます。
2001年には、広島商工会議所、広島県、広島市から、ホノルル日本人商工会議所に、永遠の友好のシンボルとして、宮島の鳥居のレプリカが贈られました。
1961年以来、YMCAホノルルと広島YMCAの学生が夏季の交流を行っており、これは米国で最も長い歴史を持つ交換プログラムと言われています。毎年、2つのYMCAが交互に学生代表を派遣し、両世界大戦の史跡巡りや要人の訪問、ホームステイなどを行っています。この重要なプログラムは、若者世代が永続的な平和を生み出す強い友情を築く経験を提供してきました。
そしてもちろん、広島はJETプログラムを通じ、何百人もの米国人英語教師を受け入れてきました。今晩、JET参加者やJET卒業生が、ここにいらっしゃるかもしれませんね。私自身、JETプログラムの前身である英語教育フェローシップで初来日し、それが外交官キャリアのスタートにつながりました。というわけで、私自身の経験から、このような教育的・文化的交流がもたらす変革の力を承知しております。
スタンフォード大学の卒業生である湯崎英彦広島県知事は、教育・文化交流、特に日本の若い学生が米国を体験することを推奨していらっしゃいます。広島をイノベーションと起業の原動力にしたいという知事のビジョンは、広島の若者がグローバルな考え方を育む取り組みにつながっています。2019年には、広島の高校生を対象としたオンラインコース「Standard e-Hiroshima」が開設されました。これは、日米間の深い相互依存関係を際立たせるものです。高校生は、初期の日本人の米国への移住、起業家精神、広島・ホノルルの姉妹都市関係などのテーマについて学びます。広島県教育委員会の平川理恵教育長のリーダーシップとこのプログラムへのご支援に感謝申し上げます。
またこれとは別に、県立広島大学大学院経営管理研究科の経営修士取得を目指す学生を対象に、起業家精神の育成を目的とした「スタンフォード大学連携科目」を開講しています。学生は、シリコンバレーのエコシステムを分析し、起業家としての能力や資格について批判的に考えられるよう、現実のケーススタディを通して学びます。
明日の朝は、広島大学を訪問します。アリゾナ州立大学サンダーバードグローバル経営大学院との新たな提携についてうかがうのを楽しみにしています。2022年夏に開始されるこのわくわくするグローバルな取り組みは、サンダーバードのグローバル・マネジメント学士号、またはアリゾナ州立大学の国際貿易学士号につながる4年間の英語カリキュラムを、広島大学で提供します。卒業後、学生は米国で最長3年間のオプショナル・プラクティカル・トレーニングを受けることができます。
最後に、今年8月6日に開催された平和記念式典に米国を代表して参加でき大変光栄に思っています。私は過去に何度も広島市を訪れていますが、あの日の荒廃から復興したこの街の歴史にはいつも感動させられます。さらに感銘を受けるのは、広島市民と米国民との関係が、社会のあらゆるレベルで、長い年月をかけて成長し、成熟してきたことです。広島日米協会と皆さま全員が、その物語の一部です。深い感謝の気持ちを込め、お礼を申し上げます。
◎総領事の略歴
【リチャード・メイ・ジュニア氏】
1987年に米国国務省に入省。東京の米国大使館在任中の2000年、メリルリンチ日本証券のコミュニケーションディレクターに就任するため国務省を退省。02年に国務省に復帰し、16年には上級外交官に昇進した。広報・文化交流を専門とする外交官で、この分野の業務で日本に3度赴任している。ビルマ、ブルガリア、セルビア、コソボ、ケニア、ブラジルの大使館にも勤務。フルブライト・プログラムを担当する国務省教育文化局での勤務経験もある。東京、名古屋、福岡での在住中に、47都道府県全てを訪れている。
大阪・神戸への着任は、1981年に文部省英語教育プログラム(JETプログラムの前身)に参加するという非公式な形ではあるものの、外交キャリアが始まった場所への帰還でもある。ニューヨーク市出身。ニューヨーク市長エド・コッチの補佐官を務めたこともある。マサチューセッツ州立大学、アマースト校、コロンビア大学院を卒業している。