1976年、ホノルル日米協会として設立。初代会長はFrank Midkiff氏。設立当初は会員88人でしたが、その後着実に会員が増えて現在は833人、賛助会員184人。日本とアメリカの理解と友好を促進するために、年間約50の事業を実施しています。
1995年には、初の日米協会国際シンポジウムを開催、太平洋を越えて日米の全協会が友好の絆を強めよう、と呼びかけました。会員同士の交流も活発に行われており、協会はアメリカ人と日本人、さらには学生からOBまでの各界各層の人たちにとって恰好の交流の場となっています。こうした活動を支えているのが、ボランティアの人たちであることは注目されるところです。
現在、会長はEdwin Hawkins氏がつとめています。
提携の内容
調印された提携文書の主要部分は次ぎのとおりです。
姉妹提携 | ハワイ日米協会と広島日米協会は、ここに姉妹提携を行うことに同意し、両協会が、相互に連携と交流を密接に行うことにより、両協会の会員間の友好促進を図ることとする。この提携は調印の日に発効する。 |
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提携の覚書 | 以下の提携はハワイ日米協会と広島日米協会の両協会の間で締結された。 |
目的 | ハワイ日米協会と広島日米協会が目指すものは、広島とハワイの人々の歴史の絆を強め、かつ深めること、及び国、州、県、市、個人、文化、事業、外交、商業、旅行、教育、通信連絡、その他双方がこれ迄に積み上げて来た関係を前進させることである。 |
提携期間 | この提携は恒久的なものとする。 |
提携に伴う事業 |
両協会は、定期刊行物、会報、会員名簿、及びこの提携の目的に資するその他の情報を定期的に交換することに同意する。 両協会は、それぞれの活動に関する情報の交換と、相手側の情報を会員に周知することに同意する。 一方の協会の会員が他方の協会を訪問するときは、訪問先の協会の定期会合に出席し、帰国後相手側の活動について報告するよう努める。 両協会は、共通の目的を達成するのに必要なさまざまな事業について、ともに参画するように協議、検討する。 両協会は、会員のみならず、その子や孫達に関わる交流、旅行、教育、その他の計画について協議、検討する。 |
これまでの経緯
広島とハワイの交流の歴史は1868年(明治元年)4月に、153人が初めて移住のために渡航したことに始まります。その後1885年に政府間協定による官約移民で移住が本格的になり、その後の10年間に2万9千人が日本からハワイに渡りましたが、そのうち40%近い1万1千人が広島県出身者でした。
このため「ハワイでは広島弁が標準語」といわれるほど県出身者が幅をきかせていました。しかし、そのハワイでも3世、4世の時代になり、広島でも父祖の苦難の歴史を知らない世代が増えました。
こうした中で、戦後50周年の1995年、広島・ホノルル両市長、広島日米協会・ハワイ日米協会の両会長が衛星を通じてTV対談し、「真珠湾とヒロシマ」という悲劇を越えて友好を深め合うことを確認しました。
これを契機に両協会の姉妹提携へ向けた話し合いが進み、1996年10月のサカイ会長の広島来訪で、基本的に合意。1997年2月にラインウェーバー姉妹提携委員長が来広して、提携文について協議し、5月調印を決めました。